2024年9月19日

唐津藩最後の藩主 小笠原長国②

長国公御筆(宜不無) 唐津市蔵 嘉永二年(1849)、長国が26歳の頃に認めた書。自らの決意と願いを「宣不無(宜しからざるは無し)」の三字に込め、腹心の家臣たちに与えたとされる。

小笠原長国は唐津藩最後の藩主でありながら、彼の人物像を知る資料は殆ど残されておらず、地元で名君として知られる小笠原壱岐守長行と比べると、病弱で終生養子意識の取れなかった気弱な藩主と評されることも少なくない。しかし彼の治世期間の出来事を振り返ってみると、幕末の大荒波の中で小笠原という名の船を沈めないために、必死の舵取りをしていたことが分かる。
藩内では大殿派と若殿派による派閥抗争を諌めつつ、藩外では縁戚の今城中納言定徳や佐賀藩前藩主の鍋島直正の助力を得て朝廷へ恭順の意を示し、唐津炭田の石炭提供を約束して新政府軍による唐津討伐を免れている。また、長行を廃嫡としたことで世継ぎが居なくなったのを見た今城中納言が先の恩を盾に養子縁組を持ちかけ、小笠原家乗っ取りを画策したのを察するや否や、初代藩主長昌の末弟である長光の嫡孫・岩丸を養嗣子と定めて届け出て、これを防いだ。
戸田家より養子として迎えられ藩主となり、持病の疝癪(せんしゃく)を抱えながら家臣らとともに藩政を見ること29年、実に気苦労の多い人生を送ってきたのだろう。知藩事を解任された後は東京に移り住み、悠々自適の隠居生活を送って世を去ったとされる。

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