昭和・平成の大崩落

修復された本丸東側上段・下段石垣
令和5年度末に修復が完了した、上下二段に渡る石垣。
石積みの様式は築城初期段階の特徴である野面積みと打込み接ぎの中間のような姿で再現されている。
二段になっている理由は、元は急斜面であった地形を緩やかにして崩落を防止するためであると考えられる。
< 一覧に戻る唐津城の本丸には、石垣の土台となる盛土(もりど)として周辺の海砂が多用されていた。海砂を使った盛土は粘性が低く、大雨などで許容量を超える水が内部に浸入すると崩れやすくなるため、藩政期の間に幾度も修復がなされており、現代においても大規模な崩落が2度発生している。
現在の模擬天守が建設される前の昭和30年代に、南東側の本丸石垣の一部にて地盤がえぐれるほどの大崩落が発生。その後、当該箇所は人工石とコンクリートによる間知積(けんちづみ)石垣で修復されていたが、現在は築城当時の特徴に合わせ、割石と自然石を併用した石垣が再現されている。

また直近では平成30年に石垣修復工事中の東側斜面が約20メートルにわたり崩落し、資材運搬用の仮設道路が使用不可能になった。その際に真下にあった工事業者のプレハブ事務所が土砂に巻き込まれたが、幸いにも被災当日は豪雨により工事を中止していたため、怪我人は居なかったという。その後、追加工事で軟弱地盤の改良や矩(のり)面補強が加わえられ、当初予定されていた工期は大幅に延期されることとなったものの、今後100年先に唐津城を残していくための土台が築かれたのであった。