2025年2月17日

砂上の楼閣

唐津市中心部色別標高図 地理院地図より作成。

日本の平山型の城郭では通常、天守を頂く本丸が最も高く、次いで二の丸、三の丸の順に低くなるのが特徴だが、唐津城周辺の標高図を見てみると早稲田佐賀中高のある二の丸(東城内)よりも、唐津神社のある三の丸や、周辺の城下町の方が高くなっている。また、城内を実際に歩いてみると唐津神社のある辺りを頂点とする傾斜が見られ、最大で5,6mほどの標高差があることが確認できる。これには、松浦川と唐津湾に接している唐津中心部の地質が大きく関係している。
 縄文・弥生時代までの唐津平野一帯はほとんどが海で、長い時間をかけて松浦川の両岸に砂丘が形成され、唐津城および城下町を造る基盤になったと考えられている。伝承では唐津藩初代藩主・寺沢広高が築城に際し、満島山(本丸)の西にあった松浦川の河口を東に移し替えたとされており、地形が改変されている可能性はあるものの、ほとんどは元々あった砂丘地帯を利用したのだろう。
 「砂上の楼閣」とは基礎が不安定なものや実現不可能なことの例えとして用いられる文句だが、現実には砂の上に築かれた城と町並みが存在し、そこに住む人々の営みが400年以上続いているというのは驚くべきことである。

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