唐津城の歴史
HISTORY
初代城主の寺沢志摩守広高は、
名護屋城普請や朝鮮進攻において、
兵力輸送や食糧補給などの任務を担いました。
秀吉からの信頼も厚く、
広高は岸岳城主波多三河守(はたみかわのかみ)
の領地を与えられました。
また、唐津城築城にあたり、
広高は松浦川と神田川の
河口部分の大改修を行い、
海と河口に囲まれた要害堅固な海域(平山城)
として名護屋城の建材や
薩摩藩・肥後藩を中心とした九州各藩の協力や
穴太衆(あのうしゅう)の石工技術を持って
7カ年の歳月を費やして完成させました