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はじまりの名護屋城
それからの唐津城

名護屋城は文禄元年(1592年)朝鮮出兵の拠点として豊臣秀吉が
1592年(文禄元年)に築城しこの名護屋城の地に、
徳川家康をはじめとする全国の大名が率いる15万ともいわれる軍勢と
様々な人々が交流する巨大都市が出現しました。
名護屋城は秀吉の死と共に7年間の短い期間で廃城となり幻の都市となりましたが、
一方では博多の豪商による南蛮商業交流や、能、浄瑠璃、茶の湯、
唐津焼などによる安土桃山文化、また穴太衆(あのうしゅう)の
石工技術などを唐津の地に根付かせました。
秀吉の側近であった初代藩主寺沢志摩守広高は唐津城下の河口大改造、
新田開発のため東にのびる砂州に黒松の植林を行い(虹ノ松原)、
漁業では紀州から漁夫を雇い入れ捕鯨を導入しました。
城は本丸、二の丸、三の丸、外曲輪(そとくるわ)にわり、
外曲輪は外堀で守られ、その外に東寺町、西寺町の町割りを行いました。
  -----それからの唐津---- のはじまりです

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唐津城とは

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唐津城は、豊臣秀吉の家臣:寺沢志摩守広高が

慶長7年(1602年)から
7か年の歳月を費やして完成しました。

築城には名護屋城の遺材を
活用したと伝えられています。

城を中心とした砂浜と松原が
翼を広げた鶴のように見えることから、

別名「舞鶴城」とも呼ばれています。

その城主には
寺沢、大久保、松平、土井、水野、小笠原の

各大名が任ぜられています。

明治10年に本丸跡は舞鶴公園となり、

唐津城築城当初は、
天守閣はありませんでしたが、

昭和41年に文化観光施設として
天守閣が建てられました。

天守閣内は郷土博物館になっており、

唐津藩の資料や唐津焼などが展示され、

唐津の歴史に触れることができます。

また、舞鶴公園では3月下旬には満開の「桜」

4月下旬から5月上旬には
魅力あふれる香りを感じる「藤」が満開となり、
天守閣からは玄海灘や壱岐、虹ノ松原の雄大な景観、
松浦橋と城下町唐津の風景を見ることができます。

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